到達:2024年3月
到達できず
鮴埼灯台(めばるさきとうだい、広島県大崎上島町)は、今から130年前の1894年(明治27年)、布刈瀬戸/三原瀬戸航路に沿うほかの8灯台と一緒に建てられた。同じ大崎上島(おおさきかみじま)にはほかに中ノ鼻灯台もある。
だが、2009年に廃止されてしまった。
本体の石などは撤去されたようだが、その場所がどうなっているのかだけでも確かめることにした。
中ノ鼻灯台を見たあと、フェリーが着いた木江(きのえ)港(別名天満港)を通り過ぎ、めばる港(竹原からのフェリーが最初に着く)を目指して北上する。
めばる港のちょっと手前、医院の横に灯台への登り口がある。
ここをのぼっていく、はずなのだが…。
残念、通れなくなっていた。
おそらくこの道であっているんだが。行きたかったねえ。
手前に石碑があった。「鮴嵜燈標??(読めない)址」、わざと難しい文字にしようとして迷走してしまった感じ。
この山のどこかにあったんだな。撤去から15年経ち、植物が茂ってもう跡地がどこかわからなくなっているかもしれない。
反対側、めばる港の桟橋から山を見る。左端に鉄骨だけの塔が写っているが、これは鮴崎港鮴崎防波堤灯台。「これがあるので鮴埼灯台はいらない」と判断されたのではないか。
使われていたレンズが、「島と海の歴史資料館」に保存されていると、ネットで読んだので、そっちに行ってみた。
入館料を払い、レンズの展示場所を聞いて、ゆるゆるとそこに向かっていると、受付の人があわててやってきた。「うっかりしていました! レンズは去年別のところに移転したんでした」。
なんとそれは、さっきまでいた中ノ鼻灯台の近くにある「木江ふれあい郷土資料館」だという。仕方がないので引き返した。そういや、この船の形をした建物はさっき見たな。
そして鮴埼灯台のレンズに無事出会えた。小さいけどフレネルレンズだ。
解体工事の写真も展示されていた。「すべて撤去され灯台の跡形もない」そうだ。灯塔の石のブロックに番号を振っているところを見ると、いまもどこかに保管されているのかもしれない。
では大崎上島をあとにしよう。ここのフェリーにクルマはバックで乗り込む必要がある(左右の4台のように斜めに止めて待っている)。慣れないとオタオタしてしまう。
このあと、しまなみ海道経由で大島に渡り、カヤトマリ鼻灯台に行ったが、それは別記事で。