

到達:2026年4月
難易度:■■□□(初級)
天嶬鼻灯台(てんぎはなとうだい、愛媛県愛南町)へのクエストは、「1%の可能性を考え30分歩く」か「99%だいじょうぶだからすぐ近くまでクルマで行く」かの二択だ。今回は安全策をとって前者を選んだのだが、さてどうだったか。
天嶬鼻灯台がある天嶬の鼻は、愛南町の中心部から高茂岬に向かう途中で左に曲がった半島の先端にある。

集落の終わりから灯台までの約2kmの区間をGoogleストリートビューで見ると、クルマがすれ違えると思えるのは5~6カ所。つまり300~500mにわたってすれ違えない区間がある、ということでもある。
ただ、半島の先端には廃屋があるだけで、民家はない。この道を通るクルマの目的地は、灯台かその先の景勝地「天嶬の鼻」しかない。
とすれば、途中で対向車に出会う可能性は1%もないだろう。「対向車が来たらマズい」ところを走るのは、灯台に行く際に避けられないし、これまで何度もそういうところを通った。
だが今回は、運悪く対向車が来てしまったときには(どちらかが)相当長い距離のバックを強いられることになる。これはキビシイ。今回は時間の余裕があるので、歩いていくことにした。
開けた場所にクルマをとめる。公園なのか農地なのか、用途がよくわからないところだ。

ここから先に民家はない。

ほぼこんな感じの道が続く。ずっと舗装されているし傾斜はそれほどない。

近年整備されたと思われる箇所もある。

何カ所か、がけ崩れ防止の真新しい擁壁がつくられていた。

20分ほど歩いたところで、幕末に蘭学者高野長英が設計・築造した「久良天嶬鼻砲台」の案内があった。黒い塗料はほとんどはげているが、文字を浮き出たせる加工があるので、近づけばちゃんと読める。

説明文によると、宇和島藩は深浦湾(愛南町中心部)を防備するため、幕府から逃げてきてかくまっていた高野長英に砲台の設計と築造を依頼したという。
天嶬鼻に灯台がある理由がよくわからなかったのだが、その一つは深浦湾(深浦漁港)に出入りする船のためのようだ。以前の深浦漁港は現在に比べるとけっこう栄えていたのかもしれない。
このほか、「天嶬鼻遺跡」への入口もある。城辺町(じょうへんちょう、合併して現在は愛南町)の名前が入った石柱は少し埋もれているが、道らしきものはある。

「これより60m区間は、幅員が特に狭いので、通行に注意してください。」とあるが、ほかの場所に比べてとりたてて狭いわけではなかった。普通車が単独で走る分には危ない感じはしない。

歩き始めて30分ぐらい。道ののぼりがやや感じられるようになってきた。先がちょっと開けているように見えるが…。

舗装道の終点となる広場に到着。

久々の人間に驚いたのか、何羽かのトビがトビたった(次の写真はもっとあとのもの)。トビにしてはずいぶん大きいな、と思ったのだが、いつも上空を見上げているだけで、こんな近くで見たことがないからかもしれない。

来た道を振り返る。左の廃屋は売店の営業をしていたようにも見える。単純な個人宅をここに建てるだろうか、と思うからだが。

一度は観光地として整備されたことを示す看板(の残骸)もある。その向こうにはトイレもある。

だいぶ以前に作られたのだろうが、トイレットペーパーがあるし、全体にそこそこ掃除されている感じもある。

ちょっと寄り道をしたが、広場の先に目を向ければ、すでに灯台の足元が見えている。

天嶬鼻灯台に到着。歩き始めてから30分弱。全区間舗装道、傾斜も最後以外はそれほどなく、楽な歩きだった。

木造灯台としての初点灯は1949年(昭和24年)10月、コンクリート造になったのが1953年(昭和28年)2月、天嶬鼻白石照射灯が設置されたのが1970年(昭和45年)。そして改築され現在の姿になったのが1988年(昭和63年)12月。
ドラム缶のような高茂埼灯台に続き、今度は四角柱(面取りあり)。この付近の灯台はなかなか形状がユニークだ。
ところで手すり上部にあるトゲトゲはなんだろう? この写真にも1羽のトビが写っているが、たくさんいるトビがとまらないように、ということか。

反対側に回り込むと、天嶬鼻白石照射灯のデカい窓があった。

灯台の下には展望台があった。ここでもまだトビがなん羽かトビ交っている。

この先にも道(写真左)があり、波打ち際までくだっていけるようだ。そこが天嶬の鼻という景勝地らしいのだが、そこまで行く人は灯台探訪者よりもさらに少ないだろうな。
展望台からの景色をご覧いただこう。

近くの島は当木島、その向こうが鵜来島(うぐるしま、右)と沖の島(おきのしま、写真左端)だろう。写真右端は、福浦から高茂岬に向かう途中の場所ではないかと思う。
あとは駐車場所まで淡々と戻るだけだ。結局1台もクルマは来なかった。だが「100%来ない」とは言えない。「1時間の余裕がある」なら歩くことをお勧めする。

「県道297 久良城辺線」という道路標識がある。城辺(じょうへん)は現在の愛南町中心部、久良(ひさよし)はこのへんの地名。つまり、灯台のすぐ手前までが県道だということだ。
途中の何カ所かで路面や擁壁が整備されていたのも、「県道だから」かもしれない。しかし今回歩いた2kmの区間については、灯台に行くものずきぐらいしか通らないだろう。この区間の県道の指定を外せば、整備の手間と費用を減らせるのでは、というのは単純すぎか。









