姫島灯台は、瀬戸内海の要衝にふさわしい風格があった

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年12月
難易度:■□□□(入門)

 姫島灯台(ひめしまとうだい、大分県姫島村)への灯台クエストは、姫島灯台(ひめしまとうだい、大分県姫島村)は、まず国東半島の北端を目指すところから始めよう。

 姫島に行くフェリーは、国東半島北端の伊美港から出ている。このため、国東半島の南にある別府や大分の市街からだと、まるい国東半島の東か西をぐるっと回り込む必要がある。

(国土地理院)

 今回は別府から西回りで伊美港に向かった。所要時間は1時間20分。

 伊美港には広い駐車場があるが、大部分は“村民専用”だ。“村”とは姫島村のこと。姫島は単独で姫島村になっている(一島一村)が、最近では珍しいのでは? 村の人が島から国東市側に渡る場合、フェリーにクルマを載せるのではなく、伊美港にクルマを置いている人も多い、ということのようだ。

 村民以外が駐車するようにと書かれている場所は、上の写真の中央付近。40台ぐらいのあまり広くない区画で、このときはあと数台分しか空きがなかった。海水浴やアサギマダラ(渡りをする蝶で、春と秋に島で休息する)のシーズンなど観光客が多いときはどう対処しているんだろうか。

 出航だ。姫島は伊美港からすでに見えている。

 20分ほどで姫島に到着。

 姫島灯台はこの山を越えた向こうにある。

 ただ、港から片道18kmぐらいあるので、歩いての往復は難しい。頼りになるのが、姫島エコツーリズムというところがやっている、EVのレンタカーだ。1人乗りとか2人乗りとかいくつか車種がある。

 

 これは1人乗り。乗用車よりもゴーカートに近い感じだが、がんばれば時速50kmぐらいは出る。15分で灯台の駐車場に着いた。バス用の区画が3つもある。

 案内はないが、入口はすぐにわかる。

 なかなか立派な歩道だ。

 何分も歩かないうちに灯台が見えてきた。

 

 姫島灯台に到着。右側に松などの和風な木々、左側にヤシのような南国風樹木が配置されている。美しく、風格を備えた灯台と構内だ。

 灯台の初点灯は1904(明治37年)3月。大理石造りの官舎(退息所)が(おそらく)そのまま残っているのもいい。

 しかも、今でも使われているようだ。敷地の手前にある公園は桜の名所で、そのころには退息所が休憩所として使われているらしい。駐車場や歩道が整備されているのは、それもあるのか。

 

 灯台の手前には、退息所と似た雰囲気の切妻屋根の建物がある。明治後半になると、灯塔を囲む半円形の付属舎、というブラントン式の設計から解き放たれたようだ。自分たちが考える美しい、そして使いやすい灯台を設計したのではないだろうか。

 階段をのぼると敷地はそれほど広くないので、逆光側からしか灯台を撮れない。灯塔と付属舎をつなぐ通路があるが、後年に工事したようにも見える。

 ここはまだフレネルレンズのようだ。

 

 灯台から海に目を移そう。

 遠くに陸地が見える。山口県のどこかだろう。

 

 姫島がどういう場所にあるのかは、次の地図を見てほしい。九州大分県、四国愛媛県、本州山口県に囲まれた、伊予灘(いよなだ)、周防灘(すおうなだ)の真ん中にある。下関(地図左上)と関西方面(地図右方向)を行き来する船は、必ず姫島の近くを通ることがわかる。

(国土地理院)

 1600年ごろには、国内で最初とも言えるかがり火灯台が設けられた(姫島灯台の案内板による)。また、幕末のころには欧米の連合艦隊が拠点とするなど(Wikipediaによる)、姫島は瀬戸内海の要衝の一つと言えるのだ。

 下関-関西間の航路とは別に、南から豊後水道と豊予海峡を通ってくる航路もある。豊予海峡を挟むのが、大分県の関埼灯台と、愛媛県の佐田岬灯台だ。これらの灯台には別記事で触れる。

 

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