コンテンツ
2019年10月13日の日曜朝7時、TVのスイッチを入れると一面茶色の泥水に沈んだ北陸新幹線の車両基地が画面に映し出された。前日の12日に、令和元年台風第19号の大雨により千曲(ちくま)川の決壊が原因だった。台風19号は日本各地に大きな爪痕を残し、長野県の千曲川流域も大きな被害を被った。
長野県小諸市を流れる千曲川には、大杭(おおくい)橋という1919年(大正8年)に作られた吊り橋が架けられていた。1981年(昭和56年)に大幅な改修が行われ、後に老朽化のため通行禁止となっていた。千曲川の濁流により、この大杭橋の一部も流出してしまった。貴重な土木遺産として2018年(平成30年)に「小諸ふるさと遺産」に認定された翌年のことだった。
大杭橋はその後どうなったのだろうか。2021年7月、現地を訪問した。
地図A
直売センターからスタート
大杭橋のすぐ下流には1994年(平成6年)に架けられた小諸大橋がある。小諸大橋のすぐ西側に小諸大橋直売センターがある。広めの駐車場があるので、短い時間なら一時的に駐車することも可能だろう(その際はぜひ直売センターでお買い物もしたい)。大杭橋に向かう道は、この直売所と小諸大橋の間にある。
上の地図Aをみていただくとわかるが、大杭橋へは少し南下したあと、すぐ北上して小諸大橋の下をくぐり再び南下する。事前に地図をみてわかっていても、実際に歩くと今歩いている方向でよいのか少し不安になってくる。
道なりに進み、小諸大橋の下を二度くぐる。
地図A③の地点をすぎれば、あとは道なりにまっすぐ南下していくだけだ。
大杭橋に到着
大杭橋のすぐ手前、かつて商店だった思われる家屋がある。自動車がとまっていたので、現在も人の行き来はあるようだ。
1981年に大規模改修された大杭橋は、当初は車両も通行できたようだが老朽化のため歩行者のみ通行可となり、その後、歩行者も含めすべて通行不可となっていった。橋のたもとにある交通標識や看板にその名残が見える。
橋に近づいてみる。
流出した左岸側の一部の桁は残っており、木造の橋桁から雑草が生えている。橋の向こう側に茶色く濁った千曲川が見える。
上の写真ではわかりにくいが、少し角度を変えると橋桁が大きく破損していることがわかる。
橋のたもとから分岐した道を行けば、容易に河原まで降りていくことができる。下の写真は、流出を免れて残った大杭橋の一部だ。分断された橋桁部分などは、流出後に整備されているように見える。
大杭橋は、コンクリートの橋脚が2脚、そのほかパイルベント式の橋脚部分があった。廃墟探検地図さんのサイトに流出前の大杭橋の写真があるので、ぜひご覧いただきたい。掲載されている写真を見る限り、左岸側に少なくとも4つ以上のパイルベント式の橋脚があり、それらが流されてしまったことがみてとれる。
落下した一部の橋桁は残っているものの、それ以外の残骸は撤去され、コンクリートの橋脚の周囲や河原の散歩道などが改めて整備されたようにみえる。上の写真、左側下にある水路は、こども専用のつり場のようだ。
河原を上流方向に少し歩いてみる。訪問した日の前日も大雨が降っていたため、千曲川の流れは強い。
左岸側はこれくらいにして、続いて小諸大橋を渡り右岸側に行くことにする。
小諸大橋を渡り右岸へ
小諸大橋の南側、千曲川の上流側に大杭橋が見える。280mほどしか離れていないが、小諸大橋の高さもあり随分と大杭橋が小さく見える。
右岸側に到着した。
上の写真、大杭橋の手前、左岸側にある護岸部分を拡大したものが下の写真だ。
左岸の堤防が濁流により破壊されており、左側で川の流れが強まっていたことがわかる。これにより、大杭橋の左岸側が流出したのだろう。
右岸側から大杭橋に近づいてみる。以前は大杭橋とつながっていたと思われる道と小さな橋を発見した。
大杭橋の右岸側のたもとに到着。
大杭橋の橋長は101m、幅員3m。かつては、小諸市西部にある川辺地区に電気を供給する役割も担っており、地域にとってなくてはならない橋だった。
なんらかの形で、台風19号の惨禍から生き残った大杭橋を、小諸市のふるさと遺産として引き続き残していただきたいと思う。
近年の気象変動は、従来の気象モデルがあてはまらないと思えるほど予測がつかないことが起こる。この原稿を書いている今も、異常な大雨による強い警戒が続いている。
これ以上の災害が起こらないことを切に願って。