

到達:2026年2月
難易度:■□□□(入門)
九州最東端の灯台は、鶴御埼灯台(つるみさきとうだい、大分県佐伯市)または水ノ子島灯台(みずのこしまとうだい、大分県佐伯市)だ。
通常「最東端」は陸続きの“本土”で考えるのでそれなら前者、離島も含めた“陸地”で考えるなら後者になる。まず鶴御埼灯台からいこう。
水ノ子島には船をチャーターするなどの方法でないと行けないし、上陸はできない。ただ、歴史的価値のある重要な灯台なので、それについても記事後半で触れる。
鶴御埼灯台は、佐伯市街あたりから東へぐっと伸びた鶴見半島の先端にある。この付近はかなり複雑な海岸線を持つリアス海岸で、小さな島も多いので、ほかにもいくつか灯台や灯標がある。この地図には「××鼻」「××崎」という地名がいっぱいだ。

道の大部分は海岸に沿って曲がりくねっていて、途中からはセンターラインがなくなるが、普通車がすれ違えないような場所はほとんどない。
佐伯市街から灯台近くの駐車場まではクルマで1時間近くかかった。

ここからは舗装された坂道を歩いていく。

2、3分で鶴御埼灯台が見えてきた。

灯台の右下にある、ツルに覆われた四角い構造物は、明治時代に造られた旧海軍の望楼跡だ。九州と四国の間(豊後水道)を通る艦船を見張るためだろう。入口に鎖がかけられているのは閉鎖されたということか。
なお灯台の初点灯は1981年(昭和56年)3月と、望楼よりだいぶ新しい。

舗装の道を右に行くと灯台の根元に。左は展望台を経て九州最東端に行く歩道。ひとまず右に行く。
この下は急峻な崖だ。「兵舎跡250m」ということは、望楼に詰める兵士は毎日この間の険しい道を往復したわけだ。ご苦労さま。

そして灯台正面に到着。新しいわりにオーソドックスなデザインがいいねえ。

付属舎の右には、展望台へ続く通路がある。

時刻の都合で影になってしまっているが、展望台から見る灯台もいい。ところで、手前にいくつかある、四角錐をかぶったものはなんだろうか。

展望台から東を見る。条件が良ければ水ノ子島灯台をはじめ、四国の日振島、由良岬、高茂埼などの灯台も見えるのかもしれないが、きょうはまったく何も見えない。

豊後水道付近にある主な灯台を次の地図で示す。この海域のど真ん中にポツンとある、岩礁と言ってもいいぐらいの小さい島が水ノ子島だ。

展望台からは下(地面)におりるらせん階段がある。200m近い高さの崖に面したこの階段はなかなか怖い。ここには別の経路から行った。

「九州最東端 150m」という案内の先はこの急坂だ。150mにわたってこの傾斜だとしたら、戻るときは相当キツいだろう。やめておくことにした(細島灯台の馬ヶ背に続き本日2度目の撤退)。この先に灯台がある、というような立地も多く、その場合は仕方ないから行くのだが。

クルマで引き返すとき、灯台がよく見える場所があった。この時点で、おそらくこの写真の中に人はだれもいない。周囲になにもない場所で毎日の業務に携わった明治時代の兵士たち、そして昭和時代の灯台職員たちの苦労に感謝したくなる風景だ。

さて、水ノ子島灯台に話を移そう。
水ノ子島灯台は初点灯1904年(明治37年)3月という古い石造の灯台だ。建設には4年もかかるという難工事だった。2026年1月には国の重要文化財に指定された。

水ノ子島は上掲の地図のように、豊後水道の真ん中にある小さな無人島で、船をチャーターして行くしかないし、行っても上陸できない。
その代わり、鶴御埼灯台から少し戻った下梶寄(しもかじよせ)海水浴場の向かいに、水の子島海事資料館・渡り鳥館という施設がある。

「吏員退息所(宿舎)跡を改装した」というので、水ノ子島から移設したのかと思っていたら違った。そもそもこの場所に退息所があったのだ。この建物も水ノ子島灯台とともに重要文化財となっている。
資料館の館員の方によると、灯台職員は4人いて、2人ずつが交代で水ノ子島に詰めていたという。灯台に行った職員は灯室の下(6~7階)を寝室として使っていた(大分海上保安部「水ノ子島灯台」による)。
退息所には倉庫、居室、トイレなどがあった。

建設当時、この下梶寄集落にはトイレや電気がなかったため、住民は退息所のトイレなどを利用していたそうだ。
資料館の目玉は、水ノ子島灯台で使われていたフレネルレンズとメタルハライドランプ(写真左下)だ。太平洋戦争時に米軍機の銃撃を受けて初代レンズは破損。1950年(昭和25年)にこの大型レンズが設置された。これで半径37km、豊後水道の海域すべてに光が届くのだ。スゴイ。

そして2024年にLED回転灯器に交換されたのを機に、資料館に展示されることになった。

水ノ子島灯台の模型も展示されている。灯台に比べた島の小ささがよくわかると思う。

資料館の窓からときおり水ノ子島灯台が見えることもあるそうだ。
下梶寄の海岸から水ノ子島灯台の方角を撮影してみた。写真ほぼ中央に小さく先ノ瀬灯台が見える。

現地では気づかなかったが、写真を拡大してみると、先ノ瀬灯台(写真中央)の右に白黒の縞がぼんやり見えるではないか! カメラには水ノ子島灯台が見えていた(写真右寄り)。ズームして撮ればよかった…。

灯台職員が船を出すときに「あそこに向かうんだ」と灯台が見えていれば、少しは安心感が得られただろうか。
記事冒頭と同じ地図を再掲しておく。海事資料館、先ノ瀬灯台、水ノ子島灯台がほぼ直線上に並んでいるのがわかると思う。

海岸から水ノ子島までは約14km、四国本土で一番近い由良岬(愛媛県宇和島市/愛南町)までは約30km。昭和時代には漁法を学びに四国から鶴見半島に人が来るなど、交流があったそうだ。
さらにさかのぼった秀吉の時代。源氏から逃れてきた平家の人々を土佐の長宗我部氏が保護していたのだが、そこにも追っ手が来たために、こちらに逃げてきたという。現在下梶寄集落の4軒はいずれも「土佐路(とさじ)」という名字であるのは、このことを示すものだと、資料館の方は言う。
水ノ子島灯台については、海上保安庁 大分海上保安部「水ノ子島灯台」のページがよくまとまっている。
鶴御埼灯台への行き帰りに元ノ瀬灯標も見えたので、写真を載せておこう。
海事資料館の近くに元の間海峡段々展望所という駐車スペースがあり、そこからよく見える。

向かいの大島との距離が近く、海面が波打っているところを見ると、海峡の潮流が強そうだ。しかも灯標が立つ場所は岩礁が露出している。これは確かに灯標が必要だろう。
先ノ瀬灯台も見えたので撮影した。

そしたらこれにも水ノ子島灯台が写っていた!(写真左寄り) 白黒縞がはっきりと。まったく現場でなにを見ていたんだ…。









