日和山灯台、見る場所で姿を変えるフシギな形

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年9月
難易度:■□□□(入門)

 漁業と海運が非常に重要だった時代、小樽港は相当な繁栄を誇っていたんだろう。その小樽港に入る船を導いたのが、日和山灯台(ひよりやまとうだい、北海道小樽市)だ。

(国土地理院)

 1883年(明治16年)10月に初点灯した日和山灯台は、北海道では納沙布岬灯台に次いで2番目、という古さだ。小樽という場所の重要さがこれでもわかる。

 当初は六角形の木造で、すでに日本に石造の技術はあったものの、北海道まで技術者の手が回らなかったということか。コンクリート造に改築されたのは1953年(昭和28年)とけっこう遅い。さらに、現在の形になったのは1986年(昭和61年)のようだ。

 日和山灯台は小樽市街からクルマで10分ぐらいと、わりと行きやすい。ただ、駐車場の直前にかなりやっかいな場所がある。

 

 2つのトンネルを抜け、祝津(しゅくつ)漁港に近づくと、もう灯台が見えてきた。

 手前にある赤い屋根の大きな建物は資料館となっている「小樽市 鰊(にしん)御殿」で、積丹半島泊村から移築されたもの。ただ、2023年9月の大雨による土砂崩れのため、2024年9月現在休館している。

 このほか祝津には「小樽 貴賓館(旧青山別邸)」というにしん御殿もある(ここは食事ができる、行かなかったけど)。

 おたる水族館の駐車場を過ぎ、道道454号の終点(正式には起点)の突き当たりを左折する。のだが、ちょっとコレ見て。

 道幅がトラックの幅とほぼ同じ。つまり、120mぐらいの区間でクルマはまったく行き違えないのだ。この先は鰊御殿と灯台しかないし、現在鰊御殿は休館中だから、それほどクルマは来ないだろうけどさ。

 朝9時前だったし、まあだいじょうぶだろうと思ったんだが、鰊御殿の工事関係車両がチラホラ来ていた。上掲写真は帰りにこの区間を通過したあとに撮影したんだけど、もう少しタイミングがズレていたらこのトラックと鉢合わせするところだった。

 

 ともかく行きは問題なく駐車場に到着(しかしすでに工事関係者のものと思われるクルマが何台か止まっていた)。

 右へ行くと鰊御殿だが、灯台へはもう少し海に向かって坂をのぼる。

 ハト。

 ハトの先を右に曲がり、一本道をのぼっていく。途中、舗装があったりなかったり。

 

 見えた。車両用のゲートは閉まっているので、もう少し坂をのぼる。

 これが観覧者用の階段。近年整備された感じだ。それなのに門標に「日和山燈臺」とわざわざ旧字を使うセンスはちょっとなあ。構内にはいれるのは4月~11月だそうだ。

 階段をのぼると、もう一つ階段があった。これをのぼれば日和山灯台に到着だ。

 上の写真を見ると、太い円筒の上に、小さなドームが載っているように見えるかもしれない(それでは灯室がないことになるが)。そうではなく、日和山灯台はもっと複雑な形をしている。

 ところが階段の上の敷地は狭く、全体の姿をうまく撮影できない。こっちから見ると、2つの円筒形がつながっていることがわかる。

 反対側を敷地の外から見ると、灯塔が長円形であるような感じ。優雅に飛んでいるのはカラス。

 別の角度からだと、いくつかの直方体が複雑に組み合わさっているように見える。いずれにしても付属舎全体では(ほかの灯台に比べて)かなりの大きさになるのだが、どういう理由なんだろう。

 

 このあと行ったおたる水族館からの眺めが、複雑な形が一番わかりやすいかもしれない。大きな付属舎のある灯台、というより、何かの建物に灯台の灯籠が付いているという感じだ。

 逆に灯台からおたる水族館のあたりを見るとこんな感じ。

 水族館に行く前に、パノラマ展望台にも行ってみた。灯台と鰊御殿がよく見える。灯台としてけっこう“いい場所”に立っていることがわかるだろう。周囲に大きな木がないのは偶然か、それとも伐採したか。

 西方向に目を向けると、質の違う岩石と海の侵食で作られた、おもしろい風景を見ることができる。

 さまざまな場所から目に入り、複雑な形がいろいろな表情を見せる日和山灯台。これで終わりかと思ったら違った。

 小樽から札幌へ向かう函館本線、海岸沿いを走る朝里-銭函間で電車から日和山灯台が見えたのだ。急いでスマホで撮影したので、画像ではサッパリなのだが、肉眼では灯台も鰊御殿も見えた(気がした)。

 

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