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3月の初旬、埼玉から日帰りで秋田に行ってきた。目指すのは、男鹿(おが)半島の西北端にある入道崎(にゅうどうざき)。この岬に立つ入道埼灯台(にゅうどうさきとうだい)が今回の目的地だ。
埼玉から秋田へ日帰りというのは、もったいない気もする。が、昔では考えられなかった時短移動が、新幹線のおかげで実現可能になった・・と考えれば、それはもうありがたい話なのである。
●まさかの大雪で・・
大宮からこまち1号に乗車する。途中停車駅は仙台-盛岡-田沢湖-角館-大曲の5つしかない。予定では10時半頃に秋田に到着し、男鹿線で終点の男鹿駅まで行くことになっていた。
盛岡までは順調だった。雲行きが怪しくなってきたのは盛岡を出て田沢湖線に入ってからだ(盛岡から秋田までは在来線を利用しての走行)。
停まるはずのない小岩井で停車し、のろのろと出発した後も次の雫石で停車し・・という具合で、男鹿線との乗り継ぎがだんだん怪しくなってきた。
急ぐ旅じゃなければ、途中駅に停車するのはむしろ歓迎なんだけど、今回は取材でアポもあるのでそうのんきに構えていられない。
遅延の理由は大雪による除雪車の故障なので、じたばたしても仕方ない。最終的には秋田駅に20分遅れで到着し、そこから車で入道崎に向かうことにした。
●入道崎に到着
なんとか無事に入道崎に到着。お昼を食べる時間もありそうだ。
天気を気にしつつ食事を終えて外に出る。
やっぱり、灯台と海には青空と白い雲が良く似合う。晴れてきた天候にほっとしつつ、入道埼灯台に向かう。
入道埼灯台は、全国に16基ある「のぼれる灯台」のひとつ。その中でも縞々模様はこの入道埼だけだ。参観できる時期は4月中旬から11月初旬ごろまでなのだが、この日は取材許可をいただき中を見学することができた。
●鑑賞ポイント① 初代の初点プレート
灯台の入口扉上部には、灯台好きなら見逃さない初点プレートが飾られている。プレートには、「初点明治31年11月」「改築昭和26年3月」と刻まれている。
現在の灯台は2代目で、このプレートは昭和26年に取り付けられたものだ。では、鉄製だった初代灯台の初点プレートは残っているのだろうか?
それが、ちゃんとあるのだ。しかもすぐ近くに。
実は、入り口をはいってすぐ、カーブした天井近くの壁に(上の写真、黄色矢印の先)、初代のプレートが取り付けられているのである。
かなり大きなプレートなのだが、先を急いでいると意外に気が付かない。入道埼灯台の入口入ってすぐ、壁を見上げることをお忘れなく。
●鑑賞ポイント② 夕闇を感知するセンサー
灯台の内部はらせん階段になっていて、ひたすら登っていく。「灯室」と呼ばれるレンズを動かす部屋まで高さは20mちょっと、ビルの6~7階分だがステップの高さはあまりないので、一歩ずつ落ち着いて登っていこう。
内部には窓がいくつかあるのだが、だいぶ上まで登ったあたりに、下の写真のようなボックスがとりつけられている窓がある。
鍵の取り付けられたこのボックスは、夕闇を感知するセンサーだ。灯台の周囲が薄暗くなってくると、灯火を放つように自動化されている。昔は人の手によって点灯していたのだろうなと思うと、なんだか感慨深いものがある。
●灯室の中には
ここで灯台の内部構造を簡単におさらいしておこう(図解①)。灯台の上部は「灯室」と呼ばれるレンズを動かすための機械が設置された部屋と、レンズがおさめられたガラス張りの「灯ろう」がある。
入道埼灯台は地上から最頂部までが28m、レンズの中心までが24mなので、灯室まで階段で登る高さはだいたい20mぐらいと思われる。
灯室の中心には図解①の右側にあるような水銀槽式回転機械がどどーんと置かれている。図解①Aはレンズを滑らかに回転させるための水銀槽(現在は違う)があり、その下には昔レンズを回転させていた動力部があった(図解①B)。
そうした構造を頭の片隅に置いていただき、まずは下の18秒ほどの動画を見ていただきたい。
階段を登り切って灯室内に入った直後の映像である。
動画にもでてきたように、黒い円筒形の桶のようなものが水銀槽だ(下の写真)。レンズが重いため、水銀に浮かべて回転させていたのである。入道埼灯台では、中の水銀は抜かれていて現在ではベアリングが設置されている。
かつての水銀槽を支える台座に目をやると、下部が帆布で包まれている。ここには現在は免振装置が設置されている。
免振装置は平成になってから設置されたと聞くが、それ以前にはレンズを回転させるための動力となる「巻き上げ機」が設置されていた。
いったい何を巻き上げていたのだろうか?
●鑑賞ポイント③ 分銅筒の入口のふた
レンズを回転させるには何らかの動力が必要だ。昔は今ほど十分な電力がなかったため、高い場所(灯室)から分銅を落とし、その力でレンズを回転させていた。
このため、灯台の内部には「分銅筒」と呼ばれる垂直な穴があった(図解②紫の線)。現在は使われていないが、分銅筒はしっかり残っている。
現在、分銅筒の入口にはふたがされているのだが、それが下の写真である。ちょうど灯室へのらせん階段を登りきる直前、右手の柵越しに見えるので、こちらもぜひチェックしていただきたい。
ここでもう一つチェックしていただきたいのが、らせん階段がはじまるすぐのところだ。分銅筒の壁の一部に木のふたが取り付けられている(下の写真)。これは、例えば落とした分銅が絡まったり、何らかの操作するときに使われたという。
落とした分銅は、人力により巻き上げ機で巻き上げていた。灯台の高さにもよるが4時間とか8時間とかに一度は巻き上げて分銅を下ろす作業があったとのことで、昔の灯台守の方々の苦労の一端が垣間見える場所なのである。
ちなみに、高さが低い灯台はどうなのだろうか。沿岸灯台の中には、灯台の位置(灯台の立つ土地)そのものが高い場所にあるので、灯台自体はそれほど高くないものもある。
このような灯台では、分銅を落とす高さを確保するため、地面の中に穴を掘ったものがあるようだ。ただし、灯台の立つ地盤がやわらかいところに限られる。入道埼灯台のように下が岩盤のようなところは、ある程度の灯台の高さが必要になるということだ。
一般の灯台内部の見学は灯室までなのだが、今回特別に許可をいただいて、灯室の上部にあるレンズの部屋まで入らせていただくことができた。
後編の次回で、興奮MAXの第三等大型フレネルレンズをご紹介する。
取材協力:秋田海上保安部、公益社団法人燈光会