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本州と九州を隔てる関門海峡は、東の瀬戸内海(周防灘)と西の日本海(響灘)とを結んでいる。幅が狭いうえにS字型に曲がっているので、潮流が速く、潮の干満で方向が頻繁に反転するため、日本有数の海上交通の難所だ。
だが、灯台はあまり多くない。
一般的に関門海峡は、部埼灯台(へさきとうだい、福岡県北九州市)のある部埼から、六連島灯台(むつれじまとうだい、山口県下関市)のある六連島あたりまでを指すことが多いようだ。
この間で現在稼働している灯台(防波堤灯台や導灯などは除く)は、門司埼灯台(もじさきとうだい、福岡県北九州市)だけだ。

明治初期に造られたのは部埼灯台(1872年12月初点灯)と六連島灯台(1872年1月初点灯)で、設計はブラントン。現在も現役の灯台として稼働している。
海峡が大きくカーブするところにあった俎礁標(まないたしょうひょう)もブラントン設計で、1871年に稼働(礁標とは灯火がない“昼灯”)。1890年には灯火がついた挂灯立標(けいとうりっぴょう)になった。
その後1920年に金ノ弦岬灯台(かねのつるみさきとうだい)として現在の場所に移築された。2000年に廃止され、灯器が撤去されたものの、灯塔自体はいまも残っている。2020年12月に六連島灯台とともに国の重要文化財に指定され、「旧金ノ弦岬灯台」から「旧俎礁標」に改称された(https://www.japanheritage-kannmon.jp/bunkazai/index.cfm?id=38)。
そのほか、台場鼻灯台が1900年4月に初点灯(1979年10月に改築)したが、2009年2月に廃止された。ただ、同じ敷地内にある台場鼻潮流信号所(潮の流れ速さや方向を示す電光表示板、関門海峡にはほか2カ所にある)は稼働している。
1924年7月には門司埼灯台が初点灯、1987年7月に改築され、現在も海峡内側にある唯一の灯台として稼働中だ。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な巌流島にも巌流島灯台があった。1913年に造られたもので、2003年に廃止され、役割は彦島導灯に引き継がれた(http://blog.livedoor.jp/tanokubi/archives/25058633.html、https://note.com/todaimori_pj111/n/n52f557b74bc8)。
ネット上に巌流島灯台の情報は少ない。廃止後の痕跡はないようで、宮本武蔵・佐々木小次郎像のある島の東端にあったと思われる。下関市立歴史博物館のページ(https://www.shimohaku.jp/blog231118100532.html)にある、昭和30年ごろの地図で位置が確認できる。
このほか、Wikipediaの「瀬戸内海」の項には、瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)の引用で「山口県火ノ山下灯台」と書かれているが、その灯台の情報が見つからない。実際の瀬戸内法では「日ノ山下潮流信号所」と書かれているので、これのことを指しているのではないか。
さて、関門海峡には「瀬戸内海の西端」という位置付けもある。
瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)第2条第1項と、漁業法施行令 第16条は、瀬戸内海の西端を
山口県火ノ山下潮流信号所から福岡県門司崎灯台に至る直線
としている。
一方、領海及び接続水域に関する法律施行令(領海法施行令)は
竹ノ子島台場鼻から若松洞海湾口防波堤灯台まで引いた線
としている。
これは「部埼から六連島まで」という関門海峡の一般的な定義よりやや狭い。どちらも実質的な「関門海峡の出入口」を指していると考えられる。
それぞれの灯台クエストは、個別の記事になっている。













