猫島の隣、どわめく波が打ち寄せる岬に、きりっと立つ濤波岐埼灯台

 

  

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2022年11月
難易度:■■■□(中級)

「ドワメキ埼」という変わった名前、島へ船で渡って行く、端正な形状。これだけ魅力的な要素を備えている灯台があったとは。

 ドワメキ埼灯台は、宮城県石巻市の網地島(あじしま)にある。網地島には、石巻(市街)、田代島、網地島、鮎川(牡鹿半島)を結ぶ定期船「網地島ライン」(1日3~5往復)で行く。

 

(地図:国土地理院)

 

 猫好きな人なら知っている田代島は、人口より猫の数が多いという「猫島」だ。2つの島に行くのは時間が厳しいので、今回は残念ながらパス。さらに、網地島ラインの運行ダイヤがうまくあわないので、今回は鮎川から網地島の長渡(ふたわたし)港まで「海上タクシー」(モーターボート)を使った。

 鮎川港は、東日本大震災で大きな被害を受けたようで、現在は非常にきれいに整備されていた。

 

 

 この「海上タクシー」で網地島まで行く。

 

 

 中央が「猫島」田代島、左が網地島。

 

 

網地島に上陸

 10分ぐらいと、わりと短時間で長渡港に着く。なぜこの漢字で「ふたわたし」と読むのか。ざっとネットを見た限りではわからなかった。

 

 

 連絡船待合所には、網地島(あじしま)の地図がある。左下が目指す灯台だ。

 

 

 このへんで灯台の名前を整理しておこうか。海上保安庁のサイトや、灯台の銘板では「濤波岐埼灯台」(どうみきさきとうだい、略字の「涛」も使われる)。

 一方、地名としては上の地図のように「ドワメキ」と呼ばれるのが一般的なようだ。漢字で書くと「渡波滅生」で、住所として「石巻市長渡港渡波滅生」というものが存在するようだ。おそらく発音から漢字を当てたのだと思う。

 そして「ドワメキ」とは、波が岸に打ち付けるときの音だと書いてある資料が多い。「打ち寄せる波がどわめく場所」、どんなにすごいところか、ちょっと見てみたくなる魅力的な名前ではないか。

 というわけで、灯台を目指し、集落の中の細い道を上っていく。

  

 

 上りきると、今度は反対側の海岸に向かって下っていく。

 

 

 すると、港から歩き出して初めての案内板があった。

 

 

 ここでの表記は「ドワメキ崎」。右の「ベーリング投錨地」は、ベーリング海峡などの名前のもととなった、ロシア人ヴィトゥス・ベーリングの探検隊が投錨したところだという。が、寄り道せずに直進。

 

 

 分かれ道、なぜかPTA(あのPTAだよね?)が「←涛波岐埼灯台」と教えてくれるので、そちらへ。と思ったら…

 

 

 右の道に猫発見。このあたりの家の住所は「渡波滅生」なんだろうな。この住所あての郵便を出したい。

 

 

 網地島で最初の猫だ。ゆっくり近づいたが、逃げられてしまった。ということで、灯台への道に戻る。

 

 

いよいよ岬に迫る

 

 わだちがあるので間違いようはないと思うが、親切に案内板。ここでは「ドワメキ岬」だ。付近はヤマユリが生えているらしく、採取禁止の看板もある。

 

 

 道の先、木の間から空が見える。ということは…。

 

 

 いよいよか?

 

 

 見えた!

 

 

 やっと来たよ、ドワメキ埼灯台。

 

 

 中央がくびれているきりっとしたフォルムと、上部に開いた四角い穴がモダンでステキ。

 

 

 そしてちょっと珍しい赤白の塗色。このへんで積雪は少ないのでは(赤白や黒白の塗色は積雪時に認識しやすいために北海道で多い)、と思ったのだが、霧の発生時を考慮した結果らしい。

 

さらに灯台の向こう側へ

 そして、灯台の右側からその向こう側に行くことができる。踏み固められ方を見ると、それなりの頻度でここを歩く人がいる、ということだろう。

 

 

 現れた風景がこれだ。この先はそと海。ずっと真南に下れば、小笠原諸島まで陸地はない。

 

 

 写真だと実感しにくいのだが、そこは本当に「岬の突端の断崖」だった。足を滑らせれば一巻の終わり。あと10mぐらい先に行けるようだが、行く勇気はなかった。

 この日は穏やかな天気だったが、荒れた天気のときはそれこそ激しい波が繰り返し打ち寄せているのだろう。「ドワメキ」の名前にふさわしいと納得できる風景だった。

 振り返って見上げれば、灯台の先端がわずかに見える。

 

 

 左手には金華山が見える。左端は牡鹿半島。

 

 

 岬の左側にはこんな岩場がある。地層がかなり切り立っていて、浸食された岩によって迫力のある風景になっている。この写真では見えないのだが、この岩場と岬の間は切れ込みがあって、陸地としてつながっていない。

 

 

 そのてっぺん近くに何かある。仏像だろうか。こちらには背を向け、牡鹿半島か金華山の方向を向いているようだ。

 

 

 灯台の真向かいには「海難供養塔」もある。そと海に面したこの海域での海難事故は昔から何度もあっただろう。この像も慰霊の意図で立てたのではないかと思う。それにしても、行くのですらかなり危険な場所だ。失われた人を思う気持ちの強さを感じる立像だった。

 足元には、土台からはがれ落ちた祠(ほこら)と思われるものもあった。風雨だけでこのようにはなりにくそうだ。地震で倒れたのか。この高さまで津波が来たとは思えないのだが。

 

 

 ではそろそろ引き上げよう。  港まで戻ったら、2匹目の猫に出会った。涙模様がカワイイ。

 

 

 近づいても逃げ去るわけではないが、微妙な間合いは保つ。

 

 

 帰りのボートが来た。

 

 

おまけ:金華山灯台

 網地島と牡鹿半島を挟んで反対側(東側)には金華山(島の名前も金華山らしい)があり、その東南端の鮑荒崎(あわびあらさき)には金華山灯台がある。

 

(地図:国土地理院)

 

 金華山灯台は、1876年(明治9年)初点灯、石造りの古い灯台だ。日本の灯台の父、リチャード・ブラントンが設計した(ブラントンは完成前にイギリスに帰国)。形としては禄剛埼灯台(石川県珠洲市、1983年(明治16年)初点灯)と似ている。

 せっかく牡鹿半島まで行くのであれば、金華山灯台もぜひ訪れたいところだ。でも…。

 

SEKIUCHI (my own work), CC BY-SA 2.1 JP

 

 金華山は「奥州三霊場」のひとつで、参拝客は鮎川(または女川)から定期船または海上タクシーで行ける。ただ、金華山の港は、金華山灯台とは島のほぼ反対側にあるため、港から歩いていくしかない。

 行った人の情報によると、灯台までは片道2時間ぐらい。東日本大震災で崩れた場所もあるようだし、危険な崖があったりヒルに吸われたり、道のりはかなりきびしいようだ。

 上述の海上タクシーを使えば、海上から見ることはできる。海面から灯火までは高さ50mぐらいだから、そこそこ近いと言える。だけど、間近で見たときの存在感はやっぱり違うからなあ。

 ということで、残念ながらここは見送り。

 

 

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