能登半島の地震が起きる半年ほど前、富山湾を臨む海岸線は夏の雲が鮮やかだった。祭りが近いのか、赤い提灯が夏空に映える。
堤防の階段を上ると、右手奥に能登半島が霞んで見えた。
今回訪問した場所は、下図の赤丸の場所。ほんの少し富山湾側にせり出した生地鼻(いくじはな)というところだ。
ここには、少し変わった形の突堤のようなものがある。ちょっと見は船着き場のように見えるが、もちろんそうじゃない。
同じ場所を航空写真で見たものが、下の地図だ(上の画像は、赤矢印の起点方向から撮影している)。海岸線に平行に配置された堤防のほかに、手前に4つ、弧を描く物体が映っている。 この物体が、いま目の前にあるモノのようだ。
海岸線に近い部分には円筒形の杭が打たれている。
その先は、特殊な形をしたコンクリートブロックが並ぶ。
このあたりは浅瀬なのだろうか、海面の色が明るい。
弧を描く突堤は新型の離岸堤で、「沖合から押し寄せる波の力を弱め、海岸の侵食を防止する(Wikipediaより)」役割がある。「高波から地域を守る新型離岸堤」として五洋建設が建造したものだ。
地形や海流などさまざまな要素を考慮して、こういった形で設置されたのだろう。緻密な計算のもとに構築された建造物は、その存在だけで美しいなと思う。
離岸堤の先端には、黄色い灯標が設置されている。
下の画像は別の場所にあったものだが、おそらくこれと同類のものだろう。
注目したいのは、この灯標の黄色だ。(ちなみに、この構造物を「灯標」と呼ぶのか、正確にはわからなかったが、ここでは灯標と呼ぶことで話を進める)
船舶が安全に港に出入りできるように、堤防の突端には赤や白の防波堤灯台が設置されていることが多い。
なので、黄色というのは、わりと珍しい。
黄という色からある程度の予測ができるが、なんらかの注意を要する特殊標識のようだ。確かに、離岸堤は船が入出港する場所ではなく、浅瀬にもみえるので、注意喚起のための標識ということなのだろう。
そこで、ふと思った。黄色い灯台ってあるんだろうか・・と。
海に浮かんでいる灯浮標(灯火ブイ)なら、緑色や黄色のものを見たことがある。でも黄色い灯台はないだろうなと思って検索したら、あったのだ。神戸沖に。
「平磯灯標」、正確には灯台ではないのだが、これは黄色い灯台といっても遜色ない堂々としたたたずまいである。
海岸線からもはっきり確認できるくらい近くにある。
平磯灯標について、さらに調べてみると大変興味深い記事が見つかった。
2016年に日本経済新聞社に掲載されていた「英文豪も眺めた海の灯 平磯灯標(時の回廊)」という記事だ。これを拝読すると、建設から100年以上建ち現存する日本最古の水中コンクリートとしての歴史を持つことがわかった。
特に海中に土台を設置するための困難さは、短い文章からも容易に想像でき、水中の岩場に建設されたアルメン灯台(フランス)を思い出させるものだった。
そんな重厚な内容の中で、一番気になったのは次の一文だった。
かつて黒一色だった塗装は、国際ルールに従い黄と黒の鮮やかなツートンになった
文 大阪・文化担当 竹内義治氏 https://www.nikkei.com/article/DGXLASHC24H4O_V20C16A6AA2P00/
人は見たいものしか見えてないとはよくいったもので、私には黄色一色の灯台に見えていたが、よくよく見返してみると確かに上部が黄色、下部が黒色の2色構成になっている。
単に黄色は注意といった意味だけではなく、この2色構成には大きな意味があったのだ。
この上が黄色で下が黒の構成は南方位標識と呼ばれ、この灯標の南方向は航行可能な場所で北方向には岩礁や浅瀬などがある危険な領域であることを示している。
平磯灯標のある一帯は、古くから座礁などの航海の難所で、こうした方位標識で航行の安全を図っていたのだ。
(方位標識については海上保安庁の説明ページをご覧ください)
船舶の運航にかかわる方ならよくご存じのことかもしれないが、方位標識の色の塗り分けについてはまったく知らなかった。まだまだまだまだ、知らないことがたくさんなのである。