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大間港にあった、石積みとコンクリートの二層構造の塔のようなものは何か。
その答えは、現地案内板の写真の中にあった。
まずは同じような位置から撮影された新旧2枚の写真を見ていただきたい。
糸巻のように見えたコンクリートの正体は、クレーンを設置する台座だった。台座の上に操作室がありクレーンを操作していたのだ。
資料によると、石積みとコンクリートからなる台座は、1914年(大正3年)頃に設置されたものらしい。現在の様子(下の写真)と見比べると、台座だけが今も残っているのだなということがよくわかる。
たたき工法でわかる時代の変遷
ここで、大間港の建設時に話を戻そう。大間港の工事は約5年を要し、1892年(明治25年)に完成した。当時はコンクリートが普及していなかったため、「たたき工法」を用いて港が建設された。「たたき」とは、消石灰と土砂を水で練って混ぜたもので、石積みと組み合わせる工法が採用されていた。
これまで紹介してきた現在の大間港の遺構には、色とりどりの石で固められたものが多くある。
石積みとコンクリートの二層構造のクレーン台座2基は、1914年(大正3年)に設置されたと現地の案内板に書いてあった。それを読んだとき、明治時代に造られた石積み台座の上に、大正時代になってから後々コンクリート製の台座を追加で設置したのだと思ってしまった。
ところがそうではないことが、別の写真から判明した。
まずは、ほぼ同じ角度から撮影した新旧の2枚の写真をみていただきたい。
モノクロの写真と説明文を見る限り、昭和13年の時点では、石積みの台座の上にクレーンが乗っていて、このあとに現在残る遺構のようにコンクリート部分が追加設置されたことになる。
つまり、大正3年(もしくはそれ以前)にたたき工法によるクレーン台座が設置され、昭和13年以降にその石積み台座を利用してコンクリート部分の増設が行われたということだ。おそらく台座の高さが十分でなかったということなのだろう。
また、新旧2枚の写真にあるトラス橋にも注目だ。
モノクロ写真の橋は現在のものと違うように見える。実は赤錆びたトラス橋が架けられたのは1945年(昭和20年)頃で、それ以前は木製の橋だったと記録にある。これは、その木製の橋が写っている貴重な写真でもあるのだ。
3つ目のクレーン台座
大間港周辺図を見ると、クレーン台座が3つあることがわかる。赤丸で囲んだ台座が、石積みとコンクリートの二層構造になっているものだ。
そして黄丸で囲んだ場所にあるクレーン台座は、細身の塔のような形ですべてコンクリートでできている。
冒頭のモノクロ写真中央部にも、クレーンが設置されたこの台座がしっかり写っている。設置は1935年(昭和10年)とのことで、このあとに、石積み台座にコンクリート分を追加設置していることになる。時代が進み、この頃にはコンクリートが普及していたということだろう。
このクレーン台座の近くまで、コンクリート製の防波堤が延びているが、平成4年度に造られたことを示すプレートが埋め込まれていた。
船を進水させる斜路も
防波堤の先端部から北方向を振り返って撮影したのが上の写真だ。防波堤の途中までは、たたき工法で造られた石積みになっていることがよくわかる。
二層構造の2つのクレーン台座の間には小屋がある。小屋の入口から海面に向かってレールが敷かれているのが見えるだろうか。船を進水させるためのスリップウェイと呼ばれる斜路で、いつ設置されたかは不明だが、1938年(昭和13年)の古い写真には同じ場所から船を進水させる様子が写っている。
小屋の内部。建築年は不明だが、そこそこ古いものじゃないかと思う。梁と柱に斜めの補強材が設置されているが、木材の色が違うので、後の時代に補強されたものだろう。
次で大間港の紹介は最後だ。
外海近くにそびえたつ、2本脚の遺構の正体をリポートしていく。
次回に続く