到達:2024年12月
難易度:■□□□(入門)
地図で見ると、四国愛媛県の佐田岬(佐田岬半島)と、九州大分県の関崎(佐賀関半島)はかなり近い。互いの陸地は間違いなく見えるとして、灯台同士は見えるだろうか。
その部分を拡大したのが次の地図だ。この場所は豊予海峡または速吸瀬戸(はやすいのせと)という。潮流が激しいことが「速吸」の由来だろう。
その潮流のおかげで、この付近ではおいしいサバやアジが捕れるのだ。佐田岬で水揚げされたものは「岬(はな)あじ」「岬さば」、佐賀関で水揚げされたものは「関あじ」「関さば」と呼ばれる。
佐田岬に佐田岬灯台(さだみさきとうだい、愛媛県伊方町)が、関崎に関埼灯台(せきさきとうだい、大分県大分市)、その間にある高島の近くには海獺碆灯台(あしかばえとうだい、大分県大分市)がある。
ということで、少し前に佐田岬灯台に行ったのだが、曇っていてあまり見通しがよくなく、関埼灯台や海獺碆灯台は見えなかった。
では関埼灯台から佐田岬灯台が見えるだろうか? ということで、今度は関埼灯台に行く。
大分市街から佐賀関半島に向かう国道197号は、佐賀関港から佐田岬半島の三崎港に行くフェリー(海上国道)、さらに三崎港から愛媛県八幡浜市までつながっている。
国道を外れ、半島の地形がくびれた場所を過ぎると、急に道が細くなる。山道を10分ぐらい走ると、関埼灯台の駐車場に着いた。
大学が、持続可能エネルギーの研究で駐車場横に建物を建て、カフェもやっていたっぽい。だが、現在も使われているのか、放置されていくのか、よくわからない。
灯台へは、関崎稲荷の鳥居をくぐって行く。
道はきちんと整備されている。
途中からはのぼりくだりのない、ほぼ平坦な道だ。コンクリート舗装されていて、とても楽ちんだ。
右下に延びていく道は、海岸に通じているようだ。砲台跡もあるらしい。佐田岬灯台の周囲にも砲台跡があったもんな。海岸までは60mぐらいの高低差があるので、行くのはやめておく。
ちょっと開けた場所が見えてきた。
またたく間に関埼灯台に到着。駐車場から5分ぐらい。官舎(退息所)の敷地ははっきりしているが、建物はない。
初点灯は1901(明治34年)7月。同じ大分県にある姫島灯台より3年早い。
半円形の付属舎、というブラントン式の設計が受け継がれている。丸眼鏡のような門の装飾が非常に印象的だ。
せっかくの装飾なので、目玉のところにQRコードの案内を貼らないでほしいな。門には鍵がかかっているので、階段の上の敷地には入れない。
だが、敷地の左には奥に向かう通路がある。
この通路を進めば、灯台を海側から見ることができる。斜めになった付属舎の屋根が、灯台のスカートのようにも見えてカワイイ。
光源はすでにLEDに替えられている。
当初使われていた大型のフレネルレンズは、1918年(大正7年)に佐田岬灯台ができたときに、移設されたという。同じ海峡を見守る役目なのに、なぜ後輩に譲り渡してしまったんだろう?
この場所からは、木であまり海が見えない。展望できるところが作られているが、見えるのは南方向だけで、豊予海峡の正面は見えない。
海を見るには、灯台の反対側、関崎地蔵の方ににおりていく必要がある。
関崎地蔵は、波の荒い速吸瀬戸(豊予海峡)での航海の安全を祈願したものという。そして、お地蔵さんの見つめる先には海が見える。
はたして佐田岬灯台は見えるか?
おお、見えた。右側に付属舎があるのもわかる。山の上にある風力発電、普段は邪魔者と感じていたが、これだけ遠くから見ると「がんばっているな」と声をかけたくなる。
やはり風景の中で白い色は目立つな。手前にある牛島もはっきり写っている。
一つ上の写真で右にあるのが、高島だ。海獺碆灯台は島の陰になるので見えない。こうなると、天気のいい日にもう一度佐田岬からこちら側を見てみたくなる。行くまでが大変なので行かないが。
そろそろ引き返そう。灯台の近くに、JX金属 関崎みらい海星館という、天文関係の施設があり、駐車場とは反対方向に歩いて行ける。その道を少し行ったところに、鳥居に書いてあった「関崎稲荷」があった。残念ながら少し前に壊れてしまったようだ。
近くの牧場で飼われていた馬の難産を助けに現れた白狐をまつったものだそうだが、狐はどこかに行ってしまったのだろうか。