経営合理化の余波で生まれた「貨車改造」 ローカル線駅舎への再生

 

 

日本国有鉄道(通称:国鉄)が分割民営化されたのが1987年(昭和62年)の4月。「JR」という新しい呼び名に慣れずついつい日常会話の中で「国鉄」と言ってしまう、そんな覚えがある方も多いだろう。

経営合理化の波が押し寄せたその時代、影響を受けたのは、私たち一般市民が乗車する列車だけではない。モータリゼーションの波がおしよせるまで物流の隆盛を極めた貨物列車も、この時期に大きな変革を余儀なくされた。その1つが貨物列車のワンマン運転化である。

一部の例外を除き、それまでの貨物列車には最後尾に車掌車(および類似の貨車)が連結されていた。

 

世田谷公園に保存されている車掌車。車両右側のデッキ部分には鉄輪の手ブレーキがみえる Stealth3327 / CC0

 

従来なら貨車をけん引する機関車の機関士と車掌車の車掌、最低でも2人の乗員がいたわけだが、機関士一人での運行が可能な条件が整ったとして、1985年3月のダイヤ改正で原則として車掌車が廃止となった。
(貨物列車のワンマン運転に関しては、乗員の健康面や運行の安全面など反対意見も強く、多くの検証・議論がなされたようだ)

この時、大量の車掌車が廃車となった。廃車となった車両はその後どうなったのだろうか。
調べてみると、いくつかの再利用の道に分かれたようだ。
 

車掌車などの有蓋(ゆうがい)貨車は、雨風を防げる構造が特徴でもある。このため、倉庫利用としての需要が高く、民間に大量に払い下げられたという。

また車両本体を改造し、ローカル線の駅舎として設置された車掌車もある。おそらく木造駅舎が老朽化してそろそろ建て替えなければ・・という時期とクロスしたということもあったと思われるが、駅員が常駐していない無人駅などの駅舎として再利用されている。

実は現在も、まだこのときの貨車を改造した駅舎が存在している。その中の多くが、北海道の閑散路線にあるというのも、雪の重みにも耐える貨車の堅牢性を考えれば、自明の結果なのかもしれない。

下の写真は、宗谷本線の智恵文(ちえぶん)駅で、2004年に撮影されたものだ。駅舎として20年前後経過していると思われるが、やはり外観の劣化が目立つ。
 

Wikipediaより 北海道 宗谷本線 智恵文駅旧駅舎  撮影者:Mr-haruka/ CC BY-SA

 
 
こちらは駅の内部。注目してほしいのは、天井部分だ。緩やかにカーブしている天井は、車掌車の上部の面影を残している。
 

Wikipediaより 北海道 宗谷本線 智恵文駅旧駅舎内部 撮影者:Mr-haruka

実はこの智恵文駅、正確な時期は不明なのだが、かなりしっかりとリフォームされている。

下の写真2枚は、2017年に撮影されたものだ。外観のリフォームは塗装を明るい絵柄などで再ペイントされることも多いのだが、こちらの駅舎は新たな建材をつかってリフォームされており、まだまだ現役で活躍していきそうな勢いを感じる。

 

Wikipediaより 北海道 宗谷本線 智恵文駅 新駅舎 Mister0124 / CC BY-SA

Wikipediaより 北海道 宗谷本線 智恵文駅 新駅舎 Mister0124 / CC BY-SA

 
 

廃駅の危機と背中合わせながら、このほかにもまだ数十の改造された駅舎が残されている。

すでに廃止になってしまった駅舎も含め、Wikipediaのカテゴリーページに「車掌車改造画像」一覧があるので、ご興味のある方はそちらをご覧いただきたい。

貨車改造は車掌車以外にも

 

さて、ここまでは車掌車を改造した駅舎について取り上げてきたが、通常の貨物車両を改造した駅舎も存在している。しかも関東住みの私にとっては身近な場所に、まだ現役の駅舎があった。

 
その駅の1つが、下の写真の市城(いちしろ)駅だ。

 

群馬県 吾妻線 市城駅 2014年7月 Googleストリートビューより

 
 
何も知らなければ、この駅舎が貨物車両を改造したものだとは、まず気が付かないのではなかろうか。

こうした貨物改造の駅舎に詳しい笹田昌弘氏著作の「ダルマ駅へ行こう!」の中で、笹田氏が実際に市城駅の駅舎の下部を確認し「ワラ1形」という貨車の改造だと書かれていたのを読み、そうなのかと認識した次第。

ちなみに、「ワラ1形」というのは、「黒貨車」と呼ばれる貨物車両で、非常にポピュラーなものらしい。

Wikipediaより 黒貨車のワラ1形  spaceaero2 / CC BY

 
 
そしてもう1つ、同じく吾妻線の郷原(ごうはら)駅も貨車改造の駅舎である。

郷原駅 2018年8月 Google ストリートビューより

 
いやー、これもすごいね。あまりの変貌っぷりに、実際に訪れて自分で駅舎の底をのぞきこんでみないかぎり、これがかついて貨車だったとは想像できない。

 
 
ちなみに先ほどから、駅舎の底を確認するうんぬんと書いているが、これについて少し補足をしておきたい。

先ほど登場した「ダルマ駅に行こう!」の中で笹田昌宏氏は、JR只見線の会津坂本駅の改造駅舎について次のように述べている。

駅舎の裾の部分に、「昭和40年 日立製作所 若松車両」という貨車時代の銘板が残っていた。これこそ、貨車の出生を物語るもので、この製造時期から、黒貨車の最終形である「ワラ1形」がベースであることがわかった。

ダルマ駅へ行こう! 第2章 こんなところにもダルマ駅 笹田昌宏 著 より
会津坂本駅 2018年6月 Google ストリートビューより

 

 
 
塗装されたり建材で覆われたりなどで、車両に書かれていた文字は確認できないことが多いが、改造車両の駅舎の底に近い部分に、昔はどんな貨車だったのか知る手掛かりが残っていることがある。つまりはそういうことなのだ。

 
 

記録によると、電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1985年8月号(通巻451号)に「吾妻線4駅に貨車改造の待合室」という記事があったようだ。

調べてみると、残りの2つは、岩島駅と金島(かなしま)駅だとわかる。しかし残念ながら2つともすでに新駅舎に建て替えられてしまっている。

 

岩島駅 2002年に建て替え

Wikipediaより 金島駅 Nyao148 / CC BY-SA

 
 

ちなみに、こちらの方のサイトに、みるからに貨車を改造しましたという時代の旧駅舎写真が掲載されている。「金島」「市城」「郷原」「岩島」どれも、ほぼ類似のデザインだ。ベースとなっている「ワラ1形」の中央部に大きな開口部があったことから、車掌車ベースとは違い、中央部に通路などが設置されていることが大きな特徴だ。

北海道には行ってみたい路線や無人駅が多くある。そう簡単には行けない場所ではあるが、いつか訪問できたら、車掌車を改造した駅舎を訪ねてみたい。

駅舎の壁にさわれば、鉄の感触を感じるだろうか。

天井部は丸いだろうか。

私が行くまで待っていてくれるだろうか。

  
 

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