ナギヒコの灯台到達記:瀬戸内海西端
到達:2023年10月~2025年12月
“瀬戸内海”はどこからどこまでか、瀬戸内海と外海(太平洋、日本海)の境界はどこか、ご存じだろうか。
瀬戸内海の範囲は、いくつかの法律や政令(施行令)などによって規定されている。場所はそれぞれ異なることもあるが、ほとんどの場合、境界となる位置の指定に灯台が使われている点が共通しているのだ。
その13基の灯台(そのほか廃止・撤去されたものが1基、近くまで行けなかったものが1基)の根元(すぐそば)に実際に行ってみた。到達の難易度は入門レベル、初級レベル、中級レベルとさまざまだ。さらに、対岸の灯台が肉眼で見えるかどうかも確認した。その結果を3回に分けて紹介する。
瀬戸内海には東端(本州と四国の間)、南端(四国と九州の間)、西端(九州と本州の間)という3カ所の境界がある。

西端は関門海峡で決まり!かというとそうでもなく、結構バラバラだ。
関門海峡は約20kmの長さがあるので、そのどこにするか、という違いもある。
瀬戸内法と漁業法施行令は、関門海峡で一番幅が狭いところである
火ノ山下潮流信号所―門司埼灯台
を境界としている。ここは早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)と呼ばれ、幅は約650mしかない。
一方領海法施行令は、関門海峡の西端と言える
竹ノ子島台場鼻―若松洞海湾口防波堤灯台
を境界としている。
IHO(国際水路機関)はもう少し範囲を広げ、
名護屋岬―馬島と六連島―村崎ノ鼻
としている。名護屋岬がどこか、については後述する。

瀬戸内法施行令はさらに広い範囲を瀬戸内海とし
特牛灯台―角島通瀬埼―妙見埼灯台
を境界としている。

なお海上交通安全法施行令は西端を規定していない。「関門海峡」でいいだろう、ということか。
火ノ山下潮流信号所―門司埼灯台
関門海峡の最も幅が狭いところの幅は約650m、広くても約2kmだ。どこでも対岸はすぐ目の前に見える。東端(紀伊日ノ御埼灯台―蒲生田岬灯台)が約29km、南端(佐田岬灯台―関埼灯台)が約13.5kmであるのに比べると、圧倒的に狭い。
その「最も幅が狭いところ」に立つ門司埼灯台(もじさきとうだい、福岡県北九州市)は、関門自動車道・関門橋の門司側のたもとにある。そばを通る自動車道からすぐのところだが、木の陰で見えないので、存在に気づく人は少ないかもしれない。


火ノ山下潮流信号所(ひのやましたちょうりゅうしんごうじょ、山口県下関市)は、関門海峡(早鞆ノ瀬戸)を挟んでちょうど真向かいにある。
潮流信号所とは、潮流の向き(方角)、速さ(ノット)、傾向(速くなる/遅くなる)の3つの情報を1文字で表示する電光表示板で、国内では関門海峡と来島海峡にいくつか設置されている。
「日ノ山下」には灯台がないものの、同じ航路標識の潮流信号所が瀬戸内海の境界として使われているのだ。
次の写真の、赤丸で囲んだ部分が火ノ山下潮流信号所だ。といっても、これでは小さくてよくわからないだろう。「W」の字(西へ流れる潮流であることを表す)が点灯しているのだが…。

竹ノ子島台場鼻―若松洞海湾口防波堤灯台
ここを瀬戸内海の境界としているのは領海法施行令(領海及び接続水域に関する法律施行令)だ。約20kmの長さがある関門海峡のほぼ西の端、という理由だろう。ここより北には響灘(ひびきなだ)が広がっている。2地点の距離は約2.3km。
領海法施行令は、瀬戸内海の東端、南端、西端を「紀伊日ノ御埼灯台(北緯三三度五二分五五秒東経一三五度三分四〇秒)」のように灯台名と緯度経度の両方で示している。
ただ、西端の北側だけは「竹ノ子島台場鼻」と灯台ではなく地名になっている。なぜかというと、そこにあった台場鼻灯台が2009年2月に廃止されたからだ。
いや、そうだろうか? 領海法施行令は3回の改正を経て、現在は平成14年(2002年)4月1日施行のものが施行されている。台場鼻灯台の廃止より前なのに、「台場鼻灯台」と指定されていないのはなぜだろうか? そのへんの事情や経緯は結局わからなかった。
とはいえ、「竹ノ子島台場鼻(北緯三三度五七分二秒東経一三〇度五二分一八秒)」とはほぼ台場鼻灯台があった場所ではあるので、同じ敷地内にある台場鼻潮流信号所(だいばはなちょうりゅうしんごうじょ、山口県下関市)を訪ねることにした。
台場鼻灯台があったと思われる敷地に隣接して台場鼻潮流信号所がある。

約2.3km先にある若松洞海湾口防波堤灯台(わかまつどうかいわんぐちぼうはていとうだい、福岡県北九州市)は植物の葉や枝で隠されてほとんど見えない。かろうじて灯台の赤い色が見える場所があったが、うまくピントが合わなかった。写真中央にある赤いぼんやりしたものがそうなのだが…。

一方の若松洞海湾口防波堤灯台には、立ち入れないようにした柵があって行けなくなっていた。柵の向こうに長く伸びる防波堤の先(左端)に灯台がある。


若松洞海湾口防波堤灯台(右の赤丸)と、対岸の台場鼻潮流信号所(左の赤丸)を、なんとか1枚の写真に収められた。この2つを結ぶ線が、領海法施行令における瀬戸内海の境界だ。

名護屋岬―馬島と六連島―村崎ノ鼻
IHOは瀬戸内海西端を
A line running from Nagoya Saki (130°49′,5 E) in Kyûsyû through the islands of Uma Sima and Muture Sima (33°58′,5 N) to Murasaki Hana (34°01′ N) in Honsyû.
と規定している。
だが現在「ナゴヤサキ」という地名は残っていない。ではどこか?
戸畑郷土史会のWebページには「昭和11年(1936)八幡製鐵所戸畑作業所構内で、工場建設のために整地作業を行っていたところ、以前名護屋岬と呼ばれていた場所から三基の古墳が発掘されました」という記述がある。
また、「東経135度49.5分」という経度から、若戸トンネルの戸畑側入口の北側、日本製鉄八幡製鉄所の西端付近と思われる。
IHOの規定は1953年のもので、そのころにはすでに埋め立て/整地が行われ、「名護屋岬」という地形はなくなっていたはずだが、IHOがこの名称を使い、この場所を示した理由はわからない。
次の「ウマシマ」「ムツレシマ」は馬島(福岡県北九州市)と六連島(山口県下関市)のことだ。
六連島には初点灯が1872年1月(明治4年11月)でいまだに現役、という六連島灯台(むつれじまとうだい、山口県下関市)があるので、灯台的には著名な島だ。

「ムラサキハナ」は、下関市の中心部から10kmほど北にある村崎ノ鼻で、ここに灯台はない。
特牛灯台―角島通瀬埼―妙見埼灯台
瀬戸内法施行令はさらに広く、響灘に面した山口県西岸の海域を含めている。環境保護や漁業的な観点ではないかと思う。

特牛灯台(こっといとうだい、山口県下関市)は、目立つ岬にあるわけではないうえに、すぐ近くに角島灯台(つのしまとうだい、山口県下関市)という著名な灯台があるから、さらに目立たない。

初点灯が明治45年(1912年)1月とわりと古く、小ぶりだが形がきれいだ。下の灯塔は八角形のコンクリート造、上の灯籠は鉄造で、上の灯籠は当初のものから作り替えられた可能性を指摘するブログもある。

角島(つのしま)はここから見えていた可能性があるが、写真がない。当時は「瀬戸内海の境界」という意識がなかったのに加え、角島灯台は島の反対側なのでどうせ見えない、と思っていたからだ。
境界線の対岸である「角島通瀬埼」は、国土地理院の地図にある「通瀬岬」のことだろう。「とおろせばな」とふりがなが付いた資料が一つだけ見つかった。特牛灯台との距離は約4.8kmしかないので、灯台のような目標物はないが、陸(角島)の先端として識別できるだろう。
そして、角島通瀬埼のもう一つの対岸が、妙見埼灯台(みょうけんさきとうだい、福岡県北九州市若松区)だ。


角島通瀬埼との距離は約48kmあるので、さすがに見えないだろう。
次の写真の中央やや右にあるのが男島(おしま)だ。男島、蓋井島灯台(ふたおいじま)、角島通瀬埼はほぼ直線上にあるので、方角的にはこの写真に収まっていると言える。

以上が瀬戸内海西端である。東端と南端についてはこちら。



コメント